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2010/08/18 (Wed) CATALOGO ARTEFORTE 2010

CATALOGO ARTEFORTE 2010 - page 42-45
上昇中のテノール、"若きパヴァロッティ"と謳われている
(直訳=多くの人にとって"若きパヴァロッティ")
フランチェスコ・デムーロにインタビュー

 

フリーの読者はダウンロードはできませんが、全てのページを読むことが出来ます。
文字を読むには拡大して読みます。
写真はPuccini Messa di Gloriaのコンサート、
指揮:ニコラ・ルイゾッティ、バリトン:ガブリエレ・ビビアーニ


【追記】
本文を訳してみました。ただし私はイタリアの小学校に1年通っただけでイタリア語ができるというわけではないので、誤訳、意訳(異訳?)迷訳、多々あると思いますがお許し下さい。意味はなんとか通じると思います。まずは最初のカラーページだけ。

42ページ
『サンレモで歌いたいと思っていた』
成長株のテノール、フランチェスコ・デムーロにインタビュー:
多くの人々にとって彼は「若きパヴァロッティ」
文:Umbero Guidi - 写真:Sandro Santioni

フランチェスコ・デムーロの芸術の道程はサルデーニャの民謡で始まった、まず最初に最も評価の高いサルデーニャの"cantadores"のグループの1つに入ることから。(cantadoreとは伝統歌の歌手というような意味)そして今日では国際的な舞台で認められたテノールだ。"canto a chitarra"(ギター伴奏による歌/サルデーニャ民謡はギターの伴奏で歌う)から世界各地のステージでのロマンツァ(芸術歌曲)までの道のりは長い:フランチェスコ・デムーロは1978年にポルト・トッレスで生まれ、軽快に成功への道を歩んできた。『新パヴァロッティ』とも言われているが、彼はそれを受け流し、勉強を続けて、成功の階段を一段一段確実に上っている。主要な歌劇場が彼の出演を求め、2014年までたくさんの契約でスケジュールが埋まっている。

フランチェスコ・デムーロは芸名である。『戸籍ではDemuruとなっていますが、お役所のミスなんです。私どもの名前はかっては最後の文字が"o"のDemuroだったのです。それで本当の名字を使うことにしました。』

仕事がオフの時は彼は素敵な家族(妻のヴィットリアと13, 10, 4才の3人の娘)と快適で静かなルッカの家で暮らしている。可能な時は、ちょっとリラックスするためにForte dei Marmiに出かける。最高のサービスを提供するイタリアの海水浴場と言われているPerla della Versiliaの優れた浜辺に。(訳者注:Forte dei Marmi, Perla della Versiliaはルッカの北西の海岸沿いにある町と浜辺の名前)

経歴によると、子供の頃から歌い始めたということですが、どのようにしてヴェルディやプッチーニに至ったのですか?
『私は10才から私の島の民謡を歌い始めました。12才の時に"Minicantadores"という若者のための伝統歌手養成所に入りました。約100回の公演を行い14才でCanto a chitarraのプロになりました。母が大変助けてくれたことを言わなければなりません。私はすぐに私の声はもっと深め鍛えるべき神の賜物だと気づきました。25才の頃、オペラも勉強するべきだと思い音楽院に入学しました。』

なぜジャンルを完全に変えることを決意したのですか?
『私はすべてのジャンルを歌いたいと、とりわけもっと大観衆の前で歌いたいと望んでいました。それでサンレモ音楽祭に出演しようとさえしたのです。私は、有名な愛の歌というような旋律的な曲を提出し、聴いていた人々は拍手喝采してくれましたが、審査員は認めてくれませんでした。人々が私を脇に引っ張って行き、「いったいどうしてサンレモで歌いたいんだ?お前はすばらしい声の賜物を持っているじゃないか、オペラに目標を定めて勉強しなさい。」と言ってくれるまで。そしてそのようにしました。音楽院に入学後は自分のテクニックを磨くためにエリザベッタ・スカーヌに師事しました。』

技術的観点からすると、サルデーニャの歌からオペラへの転向は難しかったのでしょうか?
『伝統歌歌手の経験は私を大変助けてくれました。何も問題はありませんでした。実際サルデーニャの歌は私に身体と声の正しい訓練を保証してくれました:サルデーニャで長い間歌っていました。』《44ページに続く》

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